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2026/5/10

 

外山滋比古著『新版 思考の整理学』を1月頃から少しずつ読んでいました。
仙台で販売しているものは、「東北大学1位」が帯についている。地域ごとにちがうのかしら。

『思考の整理学』は1983年にちくまセミナーの1冊として刊行され、1986年に文庫化され、累計200万部超のロングセラーだそうです。
エッセイ調なので文章はやわらかく読みやすい。一方でその内容は、鉄板のようでいていまだハッとさせられるのが油断できないところ。
さすが不朽の名著だなあ。

  

稲田豊史著『本を読めなくなった人たち』も並行して読んでいました。
いま、書店は本以外を売らないとやっていけないとは聞いていたが、本書を読むと状況は想像よりひどい。

 

そういえば、少し前に地域の子供会で図書カードを配るときに

「うちの子は本も漫画も全然買わない」

「図書カードは文房具を買うときに使う」

という話を他の保護者から聞きました。
いまの子って、ほんとうに本を読まないのね・・・
(読む子もいるのは知っている)

  

今も昔も、文章で伝えても伝わらないことは多々あったけれども(文章が下手なだけかもしれないが)
何か質問を受けたら、動画や音声で回答するのが近未来のデフォルトになったりするのだろうか。


むしろ長文にして、相手側のエージェントAIで相手側に適したチューニングで音声や動画にしてもらったほうがいいのかもしれない。


そこまできたらみんな他人に質問するよりAIに質問してすべて解決する世界になっているだろうか。

そうなったとき、人はまだ”思考”するのか?

 

 

『本を読めなくなった人たち』には、テキストメディア(=文章)を

〈わかりみ〉と〈おもしろみ〉に分けた整理があり、

この整理は他のメディアでもおおむね当てはまるのではないかと思う。

  
〈わかりみ〉だけならコスパとタイパが重視される。
でも〈おもしろみ〉は違う。

すなわち、〈わかりみ〉とは疑問が解かれて思考を止める際の感情、〈おもしろみ〉とは問いが生成されて思考が始まる際の感情でもあると言える。

(稲田豊史『本を読めなくなった人たち』p.125)

  

〈おもしろみ〉からは、”思考”が始まる。
ここには希望がありそうです。

だって、”思考”しなくなるのかと考えると怖い。
これはアルツハイマーに対する不安とほぼ同じような気がする。

  

『本を読めなくなった人たち』に、本が読めなくても頭の良い人間は育つというようなことが書いてありました。
『新版 思考の整理学』では、”耳学問”の話が出てきました。
文字でも音声でも動画でも、人は学べるし、興味を持てる。

だから、これからの時代で、たとえ本や文字が珍しいものになったとしても、
”思考”を始められるし、その”思考”の量や深さによって新しい文化が生み出されていくのだろうなあと。

  

ただ、思考を止める環境は以前よりずっと整っているよねえ・・・とひしひし感じています。

  

***
≪あとがき≫
著者の外山先生、愛知県の西尾市出身である。なんと同郷であった。うれしい。

≪さいきんのあたらしいこと≫
ぬいぐるみの洗濯と綿の詰め替え(自分でもなんとかできました。よみがえったー)
***

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