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2019/12/31

わたしは森博嗣先生の小説が好きですが、なかでも
『喜嶋先生の静かな世界』は何回も読んでいます。


小説のなかで喜嶋先生が言った

「そんな経験のためにここにいたのか」というセリフがある。

それがいつもひっかかる。

   

この小説を読むまでは、
特に気にしていなかった。

経験は財産だと思っていた。

なのに、自分が身を投げ打ってやったことが
なにものにもならなかったときの
恐ろしさが存在する。

  

「良い経験になった」の言葉は
それを少し救ってくれるものかもしれないが。

    

そして
「良い経験になった」とおしまいにするのは
自分勝手なようにもとれる。

「経験」の中で
他人に与えた影響や、生み出したものなど、
すべて終わったこととして片づけていいのだろうか。

いまもまだ、
その渦中にいる人が存在するかもしれないのに?

   

だから「だめでも経験になるから」という理由で動く人を見ると
違和感を感じてしまう。

「やりたい」ことがあったらまず小さく始めてみる、
というのは最近よく聞くことだが
ベターな方法だと思う。

「経験」ではなく「体験」のレベルだ。

   

私たちはやりたいことをすべてやれるだけの時間もない。

自分と周囲への影響を計りながら
「やりたい」という気持ちを
本格的に実行に移すのは少なからず覚悟がいる。

    

そんなことを考えた年末でした。

   

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